『幸せのパスワードを手に入れる』 トリニティ数秘術創始者の岡田歩です!

6月10日~16日までバルセロナ・ガウディ・リトリートです。

スペインまで遠足に行ってきます!

その中の1日は、黒いマリアさまがいらっしゃる
モンセラットという聖地に行きます。

ここから、1年ぶりの特別遠隔ヒーリングを行います。

今回のテーマは、
「愛と自由の二項対立を中和する遠隔ヒーリング」

日程 6月13日

この日にバルセロナの聖地モンセラットから
30分間の遠隔ヒーリングを送ります。

【実施要項】

日時: 6月13日(日本時間)
この日の日本時間の午後6時以降に
遠隔ヒーリングを行います。

6月16日までにインスピレーションのシェアを
記載したメールを送ります。

料金:
\17,000円

募集人数:
 7名
今回の遠隔は少人数での募集です。
今回の遠足は、私にとって個人的な深い変容の旅でもあるので、
沢山の方に気軽に受けていただきたいというタイプのヒーリングでは
ないというインスピレーションがありました。
(詳しくは、このブログの下のほうに書いてあります)

愛と自由の二項対立に変化を起こす準備ができている方、
本気でその準備をしたい方のお申込みを心からお待ちしています

お申し込み方法:
下記のフォームにてお申し込みください。
「黒マリア特別遠隔セレモニー」を選択してください。

https://ws.formzu.net/dist/S91803419/

バルセロナのモンセラットは、
サグラダ・ファミリアをはじめとして、
ガウディもそこで自分の作品の
インスピレーションをうけたと言われている聖地です。

岩のある山ですが、そこに、
黒いマリアさまがいらっしゃいます。

この地から、愛と自由の対立を中和する遠隔ヒーリングを行います。

ある物語

モンセラットにあるマリア像
(色が黒いので黒マリアと呼ばれています)は
一般には、聖母マリアさまということになっていますが、

マグダラのマリアとイエス様との子のサラの像ではないかとも言われています。

聖書では、娼婦だったとされるマグダラのマリアですが、
実は、イエス様のパートナーで、
サラという娘を授かったという説があるんです。

イエス様のお母さんのマリアさまのほうは、
実は王家の末裔で、サラは王家の地を引いているので、
秘密結社の人たちがマグダラのマリアとサラを
陰で助けていたという話も伝わっています。

その末裔がフランスの王家になっていくとかね…

この話を始めて私が聞いたのは、
20代の頃、一時期カバラ(数秘術ではなくて、思想のほう)を
日本のカバラ研究の第一人者ともいわれていた方から学んでいたときでした。

 

もう一つの物語

これは、私の物語です。

私は、ほとんどいわゆる不思議体験というのをしたことがありません。

幽霊も、なんにも見えませんし、感じません。

エネルギーを感じることはありますが、

イメージタイプではないので、瞑想してても
イメージもビジョンも見ません。

ですが、一度だけ忘れられない体験があるのです。

十数年前、覚醒した瞑想の師とともに過ごすリトリート中に、
自分の過去世と思しきビジョンが、
目を開けたまま、
突然見えだしたことがあったんです。

ご夫婦で教えていらっしゃった師たちが、
パートナーシップについてお話しをされていたときでした。

そこにいる私は、目を開けて師たちの話を聞いているのです。
そして、その内容も理解しています。

それと同時に、私の意識のビジョンの中で、
映画が流れ始めたんです。

場面は、中世のヨーロッパの雰囲気の飲み屋でした。

薄暗い飲み屋の中には、テーブルがいくつかあって、
身分の低い村の男たちでにぎわっています。

そのテーブルの一つの上に椅子が置いてあります。

ウェーブのかかった黒髪の女性がその椅子に座って
お酒を飲んでいます。

私の一部の意識は、瞑想の師の話を聞いているのですが、
別の意識はその女性になっていました。

私は、毎日、その飲み屋でお酒を飲んで、
その後、そこにいる男性の誰かの家に行くんです。

仕事は何もしていません。

体を売って生活していたわけでもありませんから、
娼婦でもありません。

あらゆる束縛から自由に生きることが私の人生の目的であり、
信念でした。

ただお酒を飲みたいから、そこで飲んでいる。

何か必要なものがあれば、そこにいる誰かが与えてくれる。
寝る場所や、食べるもの、着るものも。
頼むことをしなくても、誰かがそれをくれるんです。

今現在(2018年に生きている私)の視点で考えると、
「娼婦とどう違うのか、ちょっと首をかしげる」
と、思わなくもないのですが、
そこにいる私は、そのような視点では考えていませんでした。

誰の命令を受けず、誰かのために…自分のためにでさえ働かないのは、

労働という制限を自分に課さないためです。

飲んで、話して、笑う。

それだけ。

ところが、ある日、私は逮捕されてしまいます。

村を混乱させていると密告があったのです。

おそらく教会とのからみから、
村の人々を惑わし、村を乱すという罪で、
わたしは処刑されることになりました。

馬による八つ裂きの刑でした。

死ぬ瞬間

私は「どんな目にあおうとも、絶対に自分の自由は手放さない。
そして、それを奪おうとするものは絶対に許さない」

そう誓って死んでいきました。

このビジョンを体験したとき、

本当にわけがわからず、戸惑うばかり。

なぜ、目を開けて人の話を聞いているのに、
そんな長いストーリーのビジョンが見えるのか、
なぜ、それを見たのか…

とにかく、そのあとは、くらくらして、お腹も痛くなり、
座っているのがやっとでした。

お腹の痛みも2週間すると、やっと収まり、
その後、そのビジョンが現れたことはありません。

が、あまりにはっきりしていたので、
忘れることはありません。

ただ、自分の人生とかけ離れすぎていて、
自分と上手く結びつけることができなかった。

ヨーロッパは行くのはかなり怖いなーという漠然とした
不安という形で私の中にとどまっていました。

サグラダ・ファミリアは、完成前に
行きたいとずっと願っていたのですが、
この不安があるので、何年も、
ヨーロッパに行く気にはなれなかったのです。

アメリカなら一人でぱっと行ってしまえるのだけど、
ヨーロッパ、とくにスペインは無理。

あの場所はスペインのどこかで、ジプシーの女性だという
理由のない確信がありました。

でも、去年のお正月ごろ、
とうとう時期が来たという感覚がありました。

一人ではなくて、仲間と行く。

そのインスピレーションが、去年の末ぐらいから、
自然と形になっていきました。

あまりに自然でスムーズな流れだったので、
不安が顔をだす隙がなかった。

心理を学んでも、瞑想の師と瞑想しても、
数秘術でも、植物でも、変化が起きなかった
私の中の物語が変化しようとしているのを感じます。

変化が起きなかったというよりは、そのすべてが
やっとここまで導いてくれたのでしょう。

バルセロナへのリトリートの募集が始まる頃、
私のメンターの一人から明確にあることを
問いただされました。

「君にとって自由に生きることがとても大切なことだというのは、
心から理解している。

自由を選択してここから去っていったとしても、
君に対する愛は変わらないけれど、
これまでのようにはいかなくなる。

自由を選ぶか、それとも、
自由はほんのちょっとだけ損なわれても愛を選ぶか、
よく考えてごらん。」

もちろん、これまでの私だったら、
自由を選ぶに決まっています。

ビジョンを見た十数年前は、
その女性と自分とを結び付けて考えることはできませんでしたが、

今ならできる。

束縛の対象も、状況も違うけれど、
私も、あらゆる犠牲を払ってでも自由を絶対に手放さない。

そんな信念で生きている。

だから、今回は、自分がこれまで選ばなかった方を選んでみたんです。

自由はほんのちょっとだけ損なわれても愛を選んでみました。

そのこと自体に後悔はしていないのだけれど、
よく考えると、
やっぱり「愛か自由か」って選択肢として、おかしいですよね。

私の中に、強く、愛と自由の二項対立があって、
それが現象化し続けている。

私は信念に基づいて、かならず自由を選ぶのだけれど、

自由には痛みと孤独が付きまとう。
そして痛みと孤独を引き受ける覚悟も。

私にとって、今回のリトリートは、
自由と痛みと孤独と覚悟の世界が完了する旅なのです。

個人的な妄想のような話を読んでくださってありがとうございました。