幸せのパスワードを手に入れる
トリニティ数秘術創始者の岡田歩です。

現在(2018年9月7日)、
微妙に被災中(たぶん)です。

というのは、今、北海道の岩見沢市にいます。

生れ&育ちは北海道の三笠市。

現在は、
母@岩見沢市
父@三笠市

(岩見沢と三笠は隣あってます)

私は東京に住んでいるけれど、
年に2回ほど、母と父に会い北海道に行きます。

だいたい6月頃と11月頃で、
9月に帰省なんて、たぶん初めてかも。

私の子供の頃は、
北海道のこのあたりって、台風もこなければ、
地震もほぼない場所だった。

災害系で一番びっくりしたのは
うんと遠くの有珠山が爆発して、
火山灰がここまで飛んできたこと。

 

火山灰は子供にとっては、
痛くも痒くもないです。

札幌も比較的(北海道レベルで)近い土地。

札幌は雪以外は超絶住みやすい街です。

住みやすいし、安全そうだし、
雪さえなければ、ほんとわたしは札幌に住みたいぐらい。

北海道は大地が安定している印象があったから、
今回の地震は本当にびっくりです。

大地震から48時間経とうとしている今の時点では、
仕事が超絶しずらい、という以外、
そんなに困ってないので、
被災という言葉を使うのが微妙な気がします。

なので、ちょっと気になって
被災者という言葉を調べたら、

災害に見舞われた人

災害という言葉を調べたら、

地震・台風・洪水・津波・噴火・かんばつ・
大火災・感染症の流行などによって起こされる不時のわざわい。
また、それによる被害。」

地震には見舞われたけれど、
私自身にとっては「わざわい」に今のところなっていない。

仕事が思うようにできないのと、
あとは、ちょっと滞在しているところが
多少変わった場所(老人ホーム)で、
徘徊風とか、ヒステリーなんかが発生する環境が
アウェイ感満載なだけ。

本当は、本日東京に戻る予定で、
いくつか予定がNGになってしまったけれど、
それは「わざわい」と呼べるほどではないわ~。

さすがにね、揺れた日は、揺れてから眠れなかった。

夜勤の職員さんが一人なんだけど、
全員なんらかのハンディキャップがある入居者さんで、
いろんなタイプの水漏れとかの対応をしたりして、
わたわたしてました。

あんなに揺れたら当然だよね。

とりあえずブレーカーをチェックしようといいうことになったんだけど、
場所がわかる人がいなくて、なぜか、私が探して見つけてみたり。

しばらくして、他の職員さんが駆けつけるまで、
入居者さんが持っていたラジオをちょっと聞かせてもらって状況把握。

ここで、アイフォン所有者は私しかいないのだけれど、
充電が5%ぐらいになっている状態で停電に突入(涙)

あっ。そうだ!
ノートパソコンがかなり充電されているはず!

PCから充電して、50%弱に復活!!!!!

スマホでラジオを聞いたりして情報ゲットしました。

翌朝、さっそくコンビニに数件アタックするも、
電池式充電器は当然ながら、ぜんぶ売れ切れ。

たまたまヤマダ電機が徒歩圏内にあったので、
そこに行って4時間並びました。

こんな経験初めてだな。

東日本大震災のときは、自宅だったし、停電もなかったから、
何かがなくて困ることがなかった。

北海道は車社会。
ヤマダ電気に徒歩で来ているのは我々(オカン&ミー)のみ。

みんな、大量のカップラーメンとと、車から充電できるチャージャーを購入していきます。
それを横目でみながら、
半日分しか持たない充電済モバイルバッテリーを5000円でゲット(涙)

ガスが使えない施設に滞在しているので、
カップ・ラーメンを買っても無駄だし、
2日ぐらいだったらカップラーメンよりは
ファスティングをチョイスしたいような気がして、スルー。

欲しかった電池式充電器も、懐中電灯も売れ切れていて、
車から充電できる充電器は売ってたけれど、
わたし、車運転できないので、買ってもしょうがないわ。

5000円でも半日でも、スマホを延命できて、
めっちゃうれしかったわよ。

 

自宅でもないし、自分の実家でもない場所にいて、
旅行者により近いポジションだから、スマホに頼るしかない。

これがないと、東京に戻る算段も、仕事の連絡も無理です。

ヤマダ電器の従業員さんも、ずっと立ちっぱなしで、
同じ質問をひっきりなしにされて、大変そうだったけれど、
それでも、とっても親切に、さわやかに対応してくれて、
それもめっちゃ嬉しくて、感動したわー!

 

さて、
その日は、かれこれ、5時間ぐらい立ちたちっぱなし。

そのときには、通電までに最悪一週間かかるという情報もではじめてました。

スマホは半日延命できたけれど、やっぱり不安。

そして、誰も歩いていない国道沿いを歩いていると、
どうしてもトボトボ感がでますね。

もう最高にトボトボと歩いているとき、

ガラケーに電話が。

 

高校のときの友達からです。

私、岩見沢東高校という高校に行っていました。

私の期は、どうやらとても仲がよいらしい。

ときどき珍しがられるほどです。

卒業後毎年、一年も欠かさず、
お正月とお盆には大勢が集まる飲み会が開催され、
それ以外にも、飲み会がいろいろ開催されているらしい。

らしいというのは、私は過去30年の内、

数回しか行ったことないから。

といっても、仲間はずれとかそうゆうことはなくて、

ちゃんと誘われているし、とても大切にされている感がある。

田舎の進学校って感じの高校で、

ゆるく平和で、楽しかった記憶があります。

 

この記憶、あんまり思い出さないけれど、

その分、潜在意識の深いところで、

しっかりと私の支えになっているんだろうなぁ。

高校のときは、家族の問題がピークの時期だったけれど、
学校&友達のおかげ生き延びることができた。

家のことでキレまくって、頭がおかしくなって
2、3か月不登校になったのよ。

 

このときも友達が助けてくれた。

今は不登校とか、まったく珍しくないけれど、
当時は、全校でも、私ともう一人ぐらい。

まあ、そんな、はみ出し感のある私でも、

そのままにしておいてくれる懐が深い同期なのね。

わたし、ラインがだいぶ嫌でね、ずっと、避けてました。

 

高校の同期会のラインがあるから
入れと言われて、数か月前にとうとう入ったの。

地震のときは、さっそく同期会ラインで
情報交換が始まってね、これがすごいんだ!

非常に迅速で正確な情報がサッとあげられているし、
みんなの書き込みも、

とっても思いやりがあるエナジーでね、

安心感がハンパなかった。

わたしは、今回(というかほぼ毎回)友達と会う時間がなかったこともあって、
岩見沢に帰省していることを誰にも言ってなかったの。

でも、

「今、岩見沢にいます。」

 

と地震の日の朝にラインに書き込んでみた。

私のラインの書き込みを見た友人が、

「食べるものある?
そっちの方向に行くからもってくよ?」

 

とラインしてくれたらしいけど、
書きこんだあと、スマホの充電を節約するために
ずっと電源をオフにしてたので、2時間ぐらい気が付かなかった。

「お菓子ならある」

 

と返事をしたのは、だいぶ時間がたってから。

人気のない国道をトボトボ歩いていたら、
携帯がなった。

 

ラインをしてくれた友達だった。

状況を話したら、
なんと、車で近くを通っているから、
「そこから動くな。体力を保存しろ」という指示。

ご夫婦でさっそうと現れて、
車に乗せられ、

新鮮な野菜と果物とおにぎりの物資を与えられ、
車でスマホの充電が80%まで復活し、

なんとか最速で東京へ帰ることができる方法を
その場ですぐにスマホと電話で調べてくれて、

丘珠空港ー静岡便の予約を完了し、
シニアホームまで送り届けられたのです。

うちのオカンは感謝で涙ぐんでいました。

わたしは、きつねにつままれたよう。

彼女とは、
高校の入試のときに、
前後の席に座ってそのときに出会ったんだったなぁ。
(あまりに昔の記憶だから、うろ覚えだけれど)

クラスは3年間違ったけれど、
弱小演劇部でいつも一緒だった。

あれこれいろんな話しを毎日飽きずにした。

家でも長電話。

お酒も一緒によく飲んだな。

わたしは、高校時代は家のことがかなりつらかったけれど、
彼女がいたから乗り切れた。

仕事が超できて、
優しくて(本人は優しくないと言う)、
しっかりしてて、
ありえないほど気が利いて、
強くて、
健康(虫歯もない)、

死ぬほど料理が上手。

ほんと素敵な女性なんだよね。

24日生まれは料理が上手なのだけれど、
私は24といえばいつも彼女を思い出す。

そんな友人が、途方くれ気味ときに、
魔法のように現れたら、また、彼女の株がガンあがり。

わたしね、自分のことを

「環境に関する柔軟性はないし、
災害が起きたら、
わたしはほんとまったく役にたたないし、
メンタルも日よわなところがあるから、
ダメになっていくタイプだろうなぁ」って
常日頃思ってたの。

実際、本当にかなりそうだった。

臨機応変とかぜんぜんないし、
役立たず。

朝、バッテリーを探しに、
コンビニに行ったときにはまだ結構食料があったんだけど、
クッキーを2個と、オレンジ1個、缶詰を2個買っただけで、
まあ、なんとかなるかと思ってしまう。

実際、地震からの二日間、
友人がくれた冷凍おにぎりとやさいと果物がなかったら、
かなりひもじかった。。

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実は、彼女の家のほうが、
私がいるところよりも停電&断水と状況は厳しかった。

私のところは、その日の夜には通電したから。

それでも、
「こんな状況だけど、あえてよかった」とメッセしてくれた。

北海道に帰ってきているとも連絡しなかったのにね。

 

 

 

天使度が高すぎる。

ほんとね、
この状況を「わざわい」って表現できるわけがない。

だから、被災地にはいるけれど、

わたしは被災者ではないです

不思議な時間を過ごしています。

そして、
相変わらず私は、

母に「すげない力」を発揮しています。

ほとんど優しくできない。

母は心の奥では不安なのかもしれないけれど、
とくに普段と変わった様子はないし、
私も、いつもと同じ。つまりすげない。

このタイミングでここにいるのは、
すげない私が最大限に安心を母と共有できる方法なのかもしれないとは思う。

 

いざとなっても、臨機応変に動けないし気が利かない自分。

いざとなっても、優しくない自分。
それでも大好きな人たちに愛されている。

それを観ている時間。

気をそらすものがほとんどなく、
それを観なければいけない時間。

そして、観たときに、
何を選択するかを迫られる時間を過しています。

本当は違うと思いたい自分の姿から逃げるのか。
あまりに恵まれていることが怖くなって、目をそむけるのか。

 

それとも、
恵まれていることの温かさを自分の内側に見出すのか。

どっちでももいいんだよ。
どっちでも大丈夫。

そう私がわたしにそっとささやく。

そう書き終わった瞬間に、

この人から安否確認のメールが届く。

 

私は、そこに何を観て、何を選択するのか…

 

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