せのパスワード・トリニティ数秘術
創始者の岡田歩です。

ガウディ三昧その3。

天上界と地上界とつなぐリンクとしての7

サグラダ・ファミリアは教会ですから、
真ん中あたりにミサを行う場所があります。

お祈りをする人のための椅子に座って、
かれこれ、ボーっとする私たち。

気が付いたら、2時間ぐらい時間がたっていました。

すごいたくさん人がいるのだけれど、
それでも、静かで満たされた気持ちになっていきます。

今度は、おぉぉぉぉという本気の音さえいらない静寂の時間。

とはいえ、数字ラブですから、あちこちを見ては、~角形とつぶやいてしまう私。

一番大切な場所に、7角形がありました。

360÷7は割り切れないので、7角形は計算上は無理なのですが、
中世の幾何学者(とトリニティ数秘術ピープル)は
コンパスとメモリ無し定規と紙と鉛筆があれば、
この世に7角形を具現化できます!

7は目に見えない偏在する神と、
目に見える世界を生きる私たちをつなぐ数字です。

イエスさまの像の上にある傘みたいものが7角形になっていました。
天上界に向かうところですね。

それから、聖堂のてっぺんにも7角形

 

どこを足しても33のマトリックス

 

この謎の4x4のマス目に並んだ数列。

とても有名なやつです。

どこを足しても33になります。

やっぱり、トリニティ数秘術創始者のわたし。

ここから何を感じ取れるか、ずーっと見ています。

ポイントはググらないこと。

自分の中に起きてくることをまず拾う。

それが、間違っていようと、合っていようと。

そして、何かひらめいたら、感じ取れたら、
それを脳内の問いとして置いておきます。

そして、その答え合わせが自分の日々の生活の中で、
起きてくるのを待つ。

ググることもあるけれど、
そうすると、感動や情熱が薄まります。
情報の一つでしかなくなっていきます。

生活の中で起きてくることと、
答え合わせができていくと、
私の一部になっていきます。

これが、私がずっと数秘術をやっていられる原動力です。

また、話がずれちゃったね。

33について

こちらにも書きましたが、

マスターナンバー33は

愛と光の癒し。
キリスト意識&観音意識。
思いやり、慈悲、無条件の愛のエネルギー。
慈悲と許しによって人々の苦しみを癒す。

そして、

光と音による癒しの数字でもあります。

サグラダ・ファミリアは、ステンドグラスが多様されていて、
光が刻一刻と光が変化していきます。

https://youtu.be/1M_zYoyYRfc (ステンドグラスの動画)

ステンドグラスの場所によって、まったく違う光の
ハーモニーが奏でられています。

それは、言葉を介せず私たちの深い部分に
浸透してきます。

光の癒し。

建築上でも、音楽が美しくなるように設計されているそうです。

音の癒し。

サグラダ・ファミリアの本当の名前は、聖家族贖罪教会。

3が二つ並んでいますよね。

聖家族というのは、幼児イエス・聖母マリア・聖ヨセフのこと。
この三つ組の3。

そしてもう一つの3は、父と子と精霊のトリニティの3。

そんなイメージが湧いてきます。

贖罪というのは
「犠牲や代償を捧げて罪をあがなうこと。
キリストが十字架上の死によって、
全人類を神に対する罪の状態からあがなった行為。」を指します。

33そして3と3を足してできる6には、
自己犠牲」の意味があるのです。

贖罪ですね。

33はイエス様がなくなって復活した年齢でもあります。

 

4x4=16の中身の謎

あまりに好きすぎて、マグネット買っちゃった。
もちろん冷蔵庫に貼ってます。
冷蔵庫に貼ると運気が落ちるとか、どうでもいいです(笑)

さてこの中には、
16個の数字が入ります。

1~16がすべて入っているのではなく、
12と16がありません。
その代わり、10と14が2回入っています。

12が入っていないのは、当然な気がします。

12という数字は究極の宇宙意識の数字。
つまり、すべての存在そのもの。

偏在しているというか、すべてが、究極の宇宙意識の表現だから、
究極の宇宙意識そのものを見ることができません。

その一つの表現は、すべてのもの・存在に偏在しているから
わたしたちはいつでも12の中にいて、12を見ていることになります。

だから、ここでは隠れているのかなと...

16がないのはどうゆうだと考えられるのか、
引き続き考察中。

これね、縦横斜めのどこを足しても33になるんだけど、
他の個所を足しても33になるところがあります。

たとえば、左上の1と14と右下の3と15の4つの組み合わせは33。

四つ角のすべて、1と4と13と15の4つの組み合わせも33。

33になる組み合わせを拾っていくと、ばらばらではなく、
綺麗な形になります。

しばらくうっとり眺めながら、考察しよ!

はぁ、また、行きたい。

すぐ行きたい!

来年6月にまた遠足をするつもり。
問題はそれまで待てるのか自分ってことです。